スタート早々重いタイトルですね(^^ゞ

 

実は「悩み」と書くと重い感じがしますが、

よくよく考えてみると、

毎日の生活の中で
悩みというのはいつも付きまとっています。

 

例えば、軽いものだったら

「今日のお昼は何食べよう。ああ作るの面倒だな。
外食しようか。でもお金かかるしな。
カロリーも高いし。でも作ると面倒だ」

とか、ちょっとしたことでもぐるぐる考えます。

 

もちろんヘビーなものになると、

将来の不安や収入の不安、
健康の不安など、

日々の生活にも暗い影を落とすものになるわけです。

 
軽い悩みであれば、
 
すこしだけイラっとして、
すぐに忘れ去ります。
 
人間の機能は便利で、
 
ちょっとしたことはこの忘却の機能によって
ストレスを極力貯めないようになっています。
 
 
しかし、ヘビーな悩みになると
ちょっとやそっとでは忘れられません。
 
それどころか、常に脳裏につきまとい、
 
ひどい場合だと不眠になったり、
体調を崩したりしてしまいます。
 
 
特に現代はストレスフルな社会です。
 
明日の状況さえも良く見えない状況で、
悩まずに要られるわけもなく
 
私たちは、日々、
大小の悩みにさらされているわけです。
 
 
 
さて、軽いもの重いもの、どちらの悩みも
よく見てみると共通項がいくつかあります。

それは、

頭のなかでグルグルと考え続けている

という事実です。

 
実は、人はみな
新しい物語を生み出すのが大得意です!
 
でも、残念ながら
ネガティブな物語が創造されることが
 
ほとんどです。
 
 
頭のなかで何か悩みが出ると、
そのことについて考えて、
 
何か問題点がないかあら捜しを始めます。
 
 
そして何か問題を見つけると
そこから新しい物語を生成して、
 
その新しい物語にたいするあら捜しを始めます。
 
 
あとはコレの繰り返しですね。
 
 
不安なことがある場合に、
 
頭のなかでグルグルと
妄想が起きて眠れないという経験は、
 
誰もが一度は味わったことがあるはずです。
 
 
これはある意味問題が起きる前に
対策を行おうとする防御反応なのですが、
 
実際には非現実の想像の中を
現実と捉え感情的になっているわけで、
 
認識の暴走したものといえるかもしれません。
この認識の暴走が、思い悩む原因となっているわけです。
 
 
なぜ、このように認識の暴走に巻き込まれてしまうのか。
 
それは、解決策を模索するために、
脳ができるだけ情報を集めようとしているのだろうと推察されます。

でも、実際には脳内の短期間の記憶キャパは限られてるので、
集めた(思いついた)情報は次々と忘れてしまいます。

 
例えば、最初の料理の例でも「作るのが面倒だ」という情報が
繰り返されています。
 
 
残念ながら、この事に全く意味は無いです。

つまり、

情報が実際には増えてないのに、
グルグルと感情的に思いを巡らすのが
悩みの本質

 

なのではないかと思います。

悩むと疲れます。そして、楽しくない!

ではこうならないためにはどうするか。

 
 
 
・・・次回に続く

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